【続】独語分析から見る老人心理

昨日のスレ・・・じゃなかった、ブログでは、

老人の熱い独語とバスの運転手の刻むビートを

ライブ編で紹介した。

 

shirokumapunch.hatenablog.com

 

今日は、超おおざっぱな分析編。

最初はもっとちゃんと分析する気だったけど

正直もう気力がなかった。

こういうことするのは仕事だけでいいや・・・

 

【分析編】

だいたい老人の話で定番は

「まったく今の若いモンときたら・・・

 それに比べワシらの若いころは・・・」

はい、お約束。若者批判と、自分の若い頃の美化。

今回のじいちゃんにも当てはまる。

要は、若者を自分より下だと位置づけたい。

では、どうしてわざわざ若者に対して

マウンティングする必要があるのか?

 

一つには、年功序列という昭和のクソ風習

 

古い人間ほどありがちだけど、

歳をとった者ほど敬われて当然という考え。

職場にもいるでしょ?クソ無能なくせに

歳とってるだけで無駄に偉そうなおっさん。

こういう考えが、古い人ほど根強い。

実際に今回の老人がどうだったかは知らん。

けど、少なくとも現状周囲のこの人の扱いは

厄介者、老害、関わりたくない面倒くさい人、

極端なところではキ●ガイだと言う人もいるはず。

 

反対にこの老人の認識では、

・年長者の自分は当然みんなから敬われるべき!

・自分の3~4分の1しか生きていない若者なんて

 自分の足元にも及ばない存在だ!

・自分は若いころ上に抑えつけられてきたから、

 今度は自分が抑えつける立場になれる!

といったところだろう。

それなのに、最近の若者は老人を敬わず、

それどころか煙たい存在として扱う。

この老人の価値観とは真反対。

そりゃあ「なんだ今どきの若者は!」

ってなるよね。でも自分はもう老人で、

ガチで若者とケンカしても負けるだけ。

結果、「俺の若いころはすごかったんだぞぅ!」

と言うしかなくなる。

 

そもそも、厄介者は年齢関係なく厄介者だし、

人格者は年齢関係なく敬われるから。

「歳とればみんな人格者」ってクソ制度が

ねじ曲がった価値観として植え付けられたせいで

巷にあふれかえる老害ができてると思うんだけど。

まぁ、それを老害呼ばわりしてる我々の態度も

厄介者をさらに厄介にパワーアップさせるのに

一役買ってるとは思いますけどねぇ。

 

もう一つ、未来があること、若さへの嫉妬について。

老人の話で若者批判についで多いのは、

政治の話、今の世の中への批判。

今回の老人も政治の話題をループしていた。

「街並みが変わってしまった」

「今の時代は生きにくい」

っていうのは、そのまま本音なんだと思う。

技術が進歩して、街並みも変わって、

アナログから急速にデジタル化して。

 

昔、認知症か何かの論文にあったんだけど、

子供のころの記憶と現在の記憶の差が大きいほど

人は加齢を実感して心身共に弱っていくらしい。

「この街も今の時代も、もう自分のものではない。

 今の若者のものなんだ」

認めはしなくても、どこかで気づいてるはず。

だから、自分のものだったあの街やあの時代を

何度も繰り返し話したがるんじゃないかな。

「ワシらにだって若い頃があったんだぞ!

 ワシらにだって自分の時代があったんだぞ!」

って、そういう叫びに聞こえた。

 

そう考えると、月並みな結論だけど、

結局すべての源にあるのはやっぱり孤独だ。

 

もう若くない、未来は残り少ない。

対して未来ある者たちはというと、

自分とはまるで相いれない価値観。

理解できない。相手もこちらを理解してくれない。

若者より歳が近いはずの初老のリーマンでさえ

言うことを聞いてくれない。通じ合えない。

時代にもついていけない。

自分の知っていた街はなくなってしまった。

居場所がない。家に帰っても誰もいない。

あの貧しい時代を生きてきたというのに、

なぜ誰も労ってくれないんだ?

 

それがやがて若者への敵意へ、社会や政治への批判へ。

でも、この思いを誰にぶつければいいのか?

誰もいない。日々思いは膨らみ続け、抑えきれない。

そして、一人で喚き続ける老人のできあがり。

 

哀しい。

裸人はばあちゃんっ子なので、

余裕があるときは、こういう老人の話を

たまに聞いてみてもいいかなと思う。

でもごめん、今マジ余裕ねーわ。

こういう余裕のない人間を量産してるところも含めて、

現代社会の闇だよね。

 

以上、裸人でした。